正常価格の今そこにある危機と反知性主義 ~ Vol.2
2022.03.03
VOL.02 不動産鑑定士ではなく不動産業者への依頼

 ところで、ここであらためて正常価格の話をしたのは、この話をするためではない。

 実は、昨年の時事通信の記事で、県有地の売却価格の査定を、不動産鑑定士ではなく、不動産業者にさせるということを知ったからである。


 この記事によれば、これまで県有地の売却のための予定価格を算出するため、不動産鑑定士に鑑定評価を依頼していたが、全く売れないことに業を煮やし、不動産業者に売却価格の査定を依頼するということになった、とのことであった。

 それがたまたま関西のある県の紹介であったことから、余程の事情があっての例外的なことで、困ったことだなと思っていたが、実はそうではなく、九州・中国地方では、既に実施しているとのことであった。
 

今回、この件についての情報があったので紹介する。


 この資料によれば、『未利用県有地売却に関する企画提案業務委託公募の実施について』と題し、その業務の概要は次のとおりである。


 委 託 先:宅建業者
     (一般競争入札~基礎報酬額の総価に関する価格競争~により選定)

 業務内容:価格査定
      売却可能性調査(同一需給圏内の土地利用状況・取引事例等)を元に、有効需要を前提とした具体的想定用途・想定購入者・査定価格を売却企画提案書にまとめ、県に提出する。

 委 託 料:報告書作成に要する経費(基礎報酬)と、企画提案に基づいて売却できた場合、売却額の3%の成功報酬を支払う。

 として、対象物件は県内の10件の土地で、敷地面積は最低257.16㎡から最大で1,090.30㎡となっている。



 この土地の所在を見ると、何も特別評価が困難な土地とは思えないのである。

 鑑定評価基準でいえば、ある意味正常価格の要件を満たすような価格査定を期待しているようにも見受けられるが、売れていくらの世界であるから、必ずしも正常価格に拘っていないようにも見受けられる。
 
 いずれにしても、この業務内容であれば鑑定士の守備範囲であると思われるが、何故当該県がそうしなければならないところまで追いつめられたかを考えることが必要である。 

 ある県の鑑定協会の会長は、さすがに放っておく訳にもいかず、県に鑑定業法違反のおそれがあると申し入れたようであるが、この流れを止めることはできなかったようである。

 我々としては、鑑定業法違反に当たるかどうかは別にして、何故、県がこのような方法を取らざるを得なかったかについて、十分反省する必要があると思うのである。

 正常価格に問題があったのか、それとも正常価格の判定を誤ったのかはともかく、一年経っても売れなかった価格しか出せなかったのは、鑑定士個人の問題なのか、それとも鑑定評価に内在する問題なのか、十分に検討する必要があるが、個人的には、九州・中国地方から関西圏にまでこの流れが広がっているということは、鑑定士個人の問題ではなく、鑑定評価に内在する根源的な問題であると思わざるを得ない。

 県の担当者は、鑑定業法のことは百も承知の上で実施しているのである。

 県は売却可能な価格が正常価格と思っていたが、そうではなかったから宅建業者に有償で価格査定を依頼し、あまつさえ売却できたら売却価格の3%を支払うなんてことを考え出したのである。

 鑑定士ムラの理屈をいくら振り回したところで、事態の改善は期待できそうにもないのである。


 ところで、何故このような対応しかできないのかというと、我が業界が反知性主義に染まっているからではないかと思うのである。

 佐藤優氏の著書である『知性とは何か』によれば、反知性主義とは、実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度である、としている。

 我が業界が内向き世界を基準にして、実証性や客観性を軽視もしくは無視しているからこそ、県に対して鑑定業法違反のおそれがあると言えても、県が何故このような業務を宅建業者に依頼せざるを得なかったのか、その理由に想いを馳せることができなかったと思うのである。

 利用者からの信頼が失われた時、鑑定業界は崩壊する。


 いずれにしても、鑑定業界は閉ざされた世界観の中で自己充足しているせいか、外部世界との接触が不十分か、接触があったとしても、特有の世界観で自分の欲する形でしか理解できないか、理解しようとしないので、このような事態に追い込まれたのではないかと思っている。

 鑑定評価とは、何時の間にか鑑定評価書という書類作成業務に変質してしまったようである。

 今後このような流れが県有地のみならず市町村が有する不動産の価格査定にも広がらないよう祈っているが、反知性主義から脱却して、社会ときちんと向き合わなければ、この流れを食い止めることはできないと思われる。

 読者諸兄の知性に期待したいと思っている。 

 

(2017年3月 傍目八目掲載/「正常価格の今そこにある危機と反知性主義」)

2022.03.03 09:37 | 固定リンク | 鑑定雑感
正常価格の今そこにある危機と反知性主義 ~ Vol.1
2022.02.24
VOL.01 正常価格について

 今更ながらであるが、正常価格について考えてみたい。

 不動産鑑定評価基準によれば、

 『正常価格とは、市場性を有する不動産について、現実の社会経済情勢の下で合理的と考えられる条件を満たす市場で形成されるであろう市場価値を表示する適正な価格をいう。
  この場合において、現実の社会経済情勢の下で合理的と考えられる市場とは、以下の条件を満たす市場をいう。』

 として、市場の条件を以下のように定義している。


 1.市場参加者が自由意思に基づいて市場に参加し、参入・退出が自由であること。

なお、ここでいう市場参加者は、自己の利益を最大化するために次のような要件を満たすとともに、慎重かつ賢明に予測し行動するものとし、次下の条件を例示している。

 1)売り急ぎ、買い進み等をもたらす特別な動機のないこと。

  2)対象不動産及び対象不動産が属する市場について取引を成立させるために必要となる通常の知識や情報を得ていること。

  3)取引を成立させるために通常必要と認められる労力・費用を費やしていること。

  4)対象不動産の最有効使用を前提とした価値判断を行うこと。

  5)買主が通常の資金調達能力を有していること。


 2.取引形態が、市場参加者が制約されたり、売り急ぎ・買い進み等を誘因したりするような特別なものではないこと。


 3.対象不動産が相当の期間市場に公開されていること。


 これを素直に解釈すると、正常価格とは売り手にも買手にも片寄らない価格ということになるが、口悪く言えば、売れない・買えない価格とも言えるのではないかと思われる。

 現実の市場では、売り手・買手の諸条件や社会的な力関係が拮抗するような取引は少ない。

 情報の非対称性を利用して、鎬を削るような条件闘争の涯てに売買が成立することが多いのである。


 また、相当の期間市場に公開される、つまり、市場滞留期間が一年もあるような不動産の売買はかなり厳しい状況にあると考えるのが一般的である。

 実感としての市場滞留期間はせいぜい3ヶ月から6ヶ月が限度で、それ以上になると水面下における条件闘争が続いているか、マーケットに受け入れられない価格設定だと考えるべきである。

 更に、最近はマーケットがグローバルになったため、市場参加者の属性次第ではドメスチックな価格感覚が全く通用しないことがある。

 海外の市場参加者の価格のベンチマークは、自国及び投資対象国の状況と市場参加者の懐具合次第ということになる。


 事実、1億円程度はポケットマネーというような市場参加者に、日本国内のベンチマークとなるような正常価格の意義を説いたところで、何の足しにもならない。

 こういう人は、欲しければ買うし、不要ならば買わないというだけである。

 人種・文化・価値観が同じなら、あるいは通用するかもしれないが、世界を股にかけ、自分の好きな不動産を好きな時に好きなだけ買える人に、正常価格の意義を説くだけムダというものである。


 個人的にも、ある地域の鑑定を頼まれたが、新築物件にもかかわらず、原価の4倍の価格が売買価格と言われたが、どうしてもそんな高い評価を出すことはできないと断った。

 その時に依頼者に言われた言葉が、今も胸に残っている。

 『君ね、不動産の価格というのは、売れた価格が適正価格だ。
  価格設定は、この手の不動産を買える顧客の懐具合一つだから、マーケットリサーチは十分している。
  適正原価・適正利潤なんて、国や人によって異なるので、そんなことを考えていたら、儲けることはできない。』

 と、軽くいなされてしまったのである。

 地元のオジさん・オバさんに売る訳ではないのであるから、地元感覚で価格を説明したところで、何の意味も持たないし、持ってくれないと痛感したのである。

 筆者は所詮ドメスチック鑑定士であるから、彼らに何を言ってもムダと諦めざるを得なかったのである。
2022.02.24 11:46 | 固定リンク | 鑑定雑感
デフレ脱却と内需拡大への道 ~ Vol.5
2022.02.17
VOL.05 長期休暇制度とそのメリット

普通、一般成人が3週間も休みをとって、自宅に引きこもったままでいるとは考えられない。

 3週間も休みがあると、前後1週間自宅にいても、1週間くらいはどこかへ出かけたくなるのが人情であろう。

現在のように極端に短い休暇制度の下では、安・近・短に象徴される旅行しかできない。

しかし、3週間も休みがあると、長期滞在型の旅行が可能となる他、自己啓発の時間やボランティア活動等、年次計画を立て有意義な休暇を送れるようになるものと考える。

長期休暇制度のメリットとしては、次のようなものが考えられる。


①ピークの減少による混雑の緩和。

②ピーク料金がなくなり、旅行費用がリーズナブルになる。
 その結果、海外と競争可能な国内旅行が多くなり、内需は拡大する。

③ピークの減少により、リゾート地や観光地では稼働率が平準化する為、従業員の通年雇用が可能となる。
  その結果、地方が活性化し、地域経済が自立可能になる。

④ピークに合わせた道路整備等が不要となり、財政負担が軽くなる。

⑤ピークの減少により、電力消費も平準化する。

⑥交通渋滞の減少により、排ガスの抑制とエネルギーロスの防止ができ、環境負荷の軽減が可能となる。

⑦休暇の充足感により、仕事に対する意欲の増大が期待できる。

⑧休暇のスケジュール調整により、経営効率の向上が期待できる。


思いつくまま例を挙げたが、労使間の問題に止まらず、国民経済にとっても長期休暇によるメリットは計り知れないものと思われる。

そして最大のメリットは、公共事業とは異なり、導入コストがかからないということである。

 更に、長期休暇によって人は必ず動き、人が動けば必ずモノは動く(消費される)ということである。

我々は目先のモノが動くことだけを内需拡大と考えているが、やみくもにモノを欲しがっている訳ではなく、必要なものにはちゃんと消費しているのである。

 あいも変わらず公共事業により景気のテコ入れを図っているけれども、その効果が上がらないのは借金漬けの財政に危機感を抱いている他、特に欲しいモノがないからともいえるのではないか。

細切れの恩着せがましい現在の休み方から脱却して、充足感のある長期休暇制度は、国民経済にとっても経営者・勤労者双方にとってもそのメリットは非常に大きいものと考える。

また、働き方を考えるということは、休み方を考えることに他ならないので、江戸時代の石門心学が教える勤勉一辺倒から、新しい時代に対応した休暇制度のあり方について議論して欲しいと願うばかりである。
 

(2016年12月 傍目八目掲載/「デフレ脱却と内需拡大への道」)

2022.02.17 09:07 | 固定リンク | 鑑定雑感

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