戦略なき義務研修問題を憂う ~ Vol.4
2022.06.16
VOL.04 合理性の視点を欠いた研修制度
百田尚樹氏の「戦争と平和」によれば、戦前の陸軍と海軍の問題を例に、合理性の欠如について指摘しているのでご紹介する。
この本によれば、成程と納得させられることが多いが、日本人のDNAとして元々合理性の視点が欠如しているのではないかと考えさせられたのである。
戦前・戦中を通じて陸軍と海軍の仲の悪さはつとに有名であるが、ただ単に仲が悪かっただけならば、第2次世界大戦であれ程の犠牲者を出すことはなかったのではと思われる。
つまり、陸軍と海軍に合理性の視点があったなら、武器等の仕様・規格が異なるなんてことはなかったと思うのである。
合理性の視点が欠如していたため、セクト主義・縦割主義の中で、自分の立場に固執し、内向き思考をする仲間だけでムラ社会を作り、多様な意見を排除し、目的よりも手段、戦略より戦術にこだわり、陸軍・海軍間で無益な競争を行ない、その優劣が明らかになった後でさえ相互に認め合うことがなかったからこそ、多大の犠牲を払いつつ破滅の道を突き進んだものと思われる。
百田尚樹氏の「戦争と平和」によれば、戦前の陸軍と海軍の問題を例に、合理性の欠如について指摘しているのでご紹介する。
この本によれば、成程と納得させられることが多いが、日本人のDNAとして元々合理性の視点が欠如しているのではないかと考えさせられたのである。
戦前・戦中を通じて陸軍と海軍の仲の悪さはつとに有名であるが、ただ単に仲が悪かっただけならば、第2次世界大戦であれ程の犠牲者を出すことはなかったのではと思われる。
つまり、陸軍と海軍に合理性の視点があったなら、武器等の仕様・規格が異なるなんてことはなかったと思うのである。
合理性の視点が欠如していたため、セクト主義・縦割主義の中で、自分の立場に固執し、内向き思考をする仲間だけでムラ社会を作り、多様な意見を排除し、目的よりも手段、戦略より戦術にこだわり、陸軍・海軍間で無益な競争を行ない、その優劣が明らかになった後でさえ相互に認め合うことがなかったからこそ、多大の犠牲を払いつつ破滅の道を突き進んだものと思われる。
戦略なき義務研修問題を憂う ~ Vol.3
2022.06.09
VOL.03 国家資格と研修制度
これまで徒弟制度の中でじっくり育てられてきた国家試験合格者は、規制改革により、経験不十分な合格者をそのまま一人前の専門職業家として世に送り出してしまった。
その結果、レベルの相対的低下に危機感を抱いた国や資格者団体は、研修に力を入れるようになってきたのも事実である。
しかし、座学は所詮座学で、机上の訓練でしかなく、それで立派な専門職業家が育つなら、こんな楽なことはないものと考えるが、もっと問題なのは研修そのものではなく、研修の内容が場当たり的で、研修制度そのものの理念や計画性、さらには研修の系統性がないことである。
本部はともかく、地域にとって研修テーマをどうするのかだけでも大きな負担となる。
研修内容・時間配分・講師の選定・研修単位の認定等、経済的余裕も時間もない中で、これまで良く研修を続けてきたものであると敬意を表するしかないが、個人的感想を言えば、これまでどうしても受講してみたいと思う研修は、残念ながら極めて少なかったと思っている。
研修内容に、興味あるいは魅力がなかったので大多数の人が研修に時間を割かなかったと思わざるを得ないが、研修内容よりも参加者が少ないのが問題と考えたからこそ強制的に受講させようと考え、それが研修の義務化という発想になったものと思われる。
受講する側からみれば、低報酬・長時間労働が常態化する中で、魅力のない研修を受講しようとすることは、零細業者に属する資格者にとっては、負担になっても利益になることは少ない。
また、零細業者にとって、平日の研修のしわ寄せは、土日祝祭日の労働に振り替えることになるだけで、一体誰のための研修なのかと考えさせられるのである。
現在の研修は、上から目線の研修で、研修そのものが受講する側にとって利益になるかどうかより、管理・監督する立場だけで議論しているような気がするのである。
事実、これまでの義務的な研修、つまり、この研修を受けなければ仕事をさせないというプレッシャーで強制的に受講させているが、その研修ではただ単にテキストを朗読するだけで、おまけに質問も許さないという上意下達式で、とても研修とは言えず、一体誰のために研修をしているのか、疑念を抱かざるを得ない。
これまで徒弟制度の中でじっくり育てられてきた国家試験合格者は、規制改革により、経験不十分な合格者をそのまま一人前の専門職業家として世に送り出してしまった。
その結果、レベルの相対的低下に危機感を抱いた国や資格者団体は、研修に力を入れるようになってきたのも事実である。
しかし、座学は所詮座学で、机上の訓練でしかなく、それで立派な専門職業家が育つなら、こんな楽なことはないものと考えるが、もっと問題なのは研修そのものではなく、研修の内容が場当たり的で、研修制度そのものの理念や計画性、さらには研修の系統性がないことである。
本部はともかく、地域にとって研修テーマをどうするのかだけでも大きな負担となる。
研修内容・時間配分・講師の選定・研修単位の認定等、経済的余裕も時間もない中で、これまで良く研修を続けてきたものであると敬意を表するしかないが、個人的感想を言えば、これまでどうしても受講してみたいと思う研修は、残念ながら極めて少なかったと思っている。
研修内容に、興味あるいは魅力がなかったので大多数の人が研修に時間を割かなかったと思わざるを得ないが、研修内容よりも参加者が少ないのが問題と考えたからこそ強制的に受講させようと考え、それが研修の義務化という発想になったものと思われる。
受講する側からみれば、低報酬・長時間労働が常態化する中で、魅力のない研修を受講しようとすることは、零細業者に属する資格者にとっては、負担になっても利益になることは少ない。
また、零細業者にとって、平日の研修のしわ寄せは、土日祝祭日の労働に振り替えることになるだけで、一体誰のための研修なのかと考えさせられるのである。
現在の研修は、上から目線の研修で、研修そのものが受講する側にとって利益になるかどうかより、管理・監督する立場だけで議論しているような気がするのである。
事実、これまでの義務的な研修、つまり、この研修を受けなければ仕事をさせないというプレッシャーで強制的に受講させているが、その研修ではただ単にテキストを朗読するだけで、おまけに質問も許さないという上意下達式で、とても研修とは言えず、一体誰のために研修をしているのか、疑念を抱かざるを得ない。
戦略なき義務研修問題を憂う ~ Vol.1・2
2022.06.02
戦略なき義務研修問題を憂う ~ Vol.1・2
VOL.01 はじめに
今回、国交省のアンケート調査で、義務研修に賛成か否かの設問があったが、研修が必要かと聞かれれば当たり前すぎて必要と答えざるを得ない。
しかし、研修を義務化すると言われると、違和感を覚えざるを得ないのである。
これまで、仲間内ではいろいろな批判があったが、これについて表立った議論はなかったように記憶している。
今回のアンケート調査で研修義務化の問題が提起されたので、その社会的背景や研修制度のあり方について考えてみたい。
VOL.02 専門職業家と修行
専門職業家のあり方を職人世界からみると、一人前の職人になるためには、経験豊富で技術のしっかりした親方のもとで、短くても10年位、高度の職人芸が要求される伝統工芸の世界では30年から50年位の修行が必要とされている。
無形文化財に指定される程の高度の技能を有している職人でさえ一生の修行と精進が必要で、これで良いという境地にはなかなか到達できないという言葉には、身が引き締まる思いがする。
一方、試験制度の規制改革で、ペーパーテストだけで専門職業家と名乗る資格者を多数輩出しているが、経験豊富な親方の元で修行することもなく、合格即独立という資格者をみると、これで本当の専門家といって良いのか、疑問を感じざるを得ない。
試験合格は、長い専門職業家としての人生を歩むための第一歩、つまりスタート地点に立ったということであり、ゴールではないはずである。
日本古来の徒弟制度は前近代的な面もあるが、どんな職業であれ、一般社会から専門職業家と認められるためには、長い修行と自己鍛錬が必要であることは論を待たない。
VOL.01 はじめに
今回、国交省のアンケート調査で、義務研修に賛成か否かの設問があったが、研修が必要かと聞かれれば当たり前すぎて必要と答えざるを得ない。
しかし、研修を義務化すると言われると、違和感を覚えざるを得ないのである。
これまで、仲間内ではいろいろな批判があったが、これについて表立った議論はなかったように記憶している。
今回のアンケート調査で研修義務化の問題が提起されたので、その社会的背景や研修制度のあり方について考えてみたい。
VOL.02 専門職業家と修行
専門職業家のあり方を職人世界からみると、一人前の職人になるためには、経験豊富で技術のしっかりした親方のもとで、短くても10年位、高度の職人芸が要求される伝統工芸の世界では30年から50年位の修行が必要とされている。
無形文化財に指定される程の高度の技能を有している職人でさえ一生の修行と精進が必要で、これで良いという境地にはなかなか到達できないという言葉には、身が引き締まる思いがする。
一方、試験制度の規制改革で、ペーパーテストだけで専門職業家と名乗る資格者を多数輩出しているが、経験豊富な親方の元で修行することもなく、合格即独立という資格者をみると、これで本当の専門家といって良いのか、疑問を感じざるを得ない。
試験合格は、長い専門職業家としての人生を歩むための第一歩、つまりスタート地点に立ったということであり、ゴールではないはずである。
日本古来の徒弟制度は前近代的な面もあるが、どんな職業であれ、一般社会から専門職業家と認められるためには、長い修行と自己鍛錬が必要であることは論を待たない。