曲り角にきた地方財政と土地評価の課題 ~ Vol.5
2024.05.09
VOL.05 評価権と課税権の分離
前述したとおり、地方では地価水準と行政サービスの対応性は希薄であり、応益税として土地評価を精緻化してもあまり意味はない。
一方、納税者も地価水準が年々下がっているのに負担調整により結果として税額が増加しているため、増税感から固定資産評価に対する不満は尽きない。
これを回避する方法としては、現在の評価を一時固定し、指数に置き換え、地方財政の所要額が決まったら、その額を前記の指数で除して一点当りの負担額を求め、これを所有土地毎の指数に乗じて徴収することが考えられる。
但し、この場合であっても指数化前は評価が前提となっているため、評価の精緻化を議論されると根本的な解決にはならない。
しかし、納税者が必要とするならば、納税者の費用負担で評価の精緻化を実現するということも考えられる。
そういう意味では固定資産税の賦課主義の修正となるが、課税庁が一方的に百点満点の評価ができるとする現在の仮想社会を見ると、一部申告主義の導入について検討する余地は十分にあるものと思われる。
他方、大都市では行政サービスと地価水準の対応関係は大きくは崩れておらず、また地価水準も高いことから土地評価をしないということには抵抗があるかもしれない。
何故なら大都市では価格水準が高いため、納税者は評価について敏感であるからである。
しかし評価の精度を上げるために多額の予算を使っても直接的な行政サービスの向上にはつながらないので納税者は喜ばない。
また、課税事務は極めてスキルの高い仕事であるが、財政上、人事管理上、十分な経験と訓練を積ませる余裕はない。
人もない、金もない、時間もないという状況下では、課税庁も納税者も十分納得できるような仕事はできない。
ところで、昨今国税庁による相続税路線価設定地域が全国的に拡大している。
前述の総合土地政策推進要綱の中でも、公的評価相互の均衡化・適正化がうたわれていることから、固評路線価、相評路線価のバランスも重要な業務となっている。
しかし固評は3年毎、相評は毎年であり、評価替時以外は市町村との協議が十分になされているとはいえない。結果として、3年毎に相評とのバランスチェックを行なうことになるが、評価担当者が異なるため必ずしも十分な均衡化は得られない。
公的評価は現在のところ地価公示は国交省、地価調査は知事、相評は国税庁、固評は総務省、市町村と四重行政になっているが、これらが何とか機能しているのは公的評価の全てに不動産鑑定士が関与しているからである。
しかし行財政改革の中で公的評価の予算も着実に削減されていることから、全国を一律的に評価の均衡化・適正化を図ることは困難になるものと思われる。
公的評価の均衡化・適正化が国の重要課題というのならば、いっそのこと評価は全て国ないし独立機関が行ない、国・市町村はその評価を基に課税・徴収することにすれば無駄が省け、国・市町村・住民にとってそのメリットは大きいものと考える。
行政サービスの対価を当面評価で計量し、負担額を求めるというのであれば、評価権と課税権を分離し、評価は国又は独立機関が行ない、課税はその評価に基づき市町村が行なうことにすれば、より効率的で国・納税者にとっても負担は少ないものと思われる。
尚、評価権と課税権の分離については、東京都税制調査会が平成17年度の税制調査会答申で提言しているので、その概要を紹介して終わりとする。
東京都税制調査会答申の第2部では、地方分権時代にふさわしい固定資産税制と題し、固定資産税の問題を次のように指摘している。
『現行の固定資産税制は、社会経済状況の変化に対応するために様々な調整措置、特例措置を積み重ねてきた結果、複雑でわかりにくいものとなっている。とりわけ、バブル経済の生成・崩壊の過程で生じた地価の異常な高騰・下落は、固定資産税制に歪みをもたらし、納税者の理解を得ることが困難な原因となっている。
また、急激な税負担の上昇を緩和するために設けられた長期間にわたる負担調整措置は、バブル経済の崩壊に伴う地価の下落局面いおいても税負担が上昇するという現象を招き、納税者からは「地価が下がっているのに固定資産税が上がるのは納得がいかない」という批判が相次いだ。
加えて、負担水準の考え方が導入され、制度がさらに複雑化したため、納税者はますます固定資産税制に対する不信感を募らせる結果となった。こうした不信感を放置したままでは、固定資産税制のみならず、いずれ税制そのものへの信頼感を喪失させてしまうことになりかねない。
-略-
固定資産税は、地方自治の担い手である市町村にとって、極めて重要な財源である。
地方分権の時代にふさわしい固定資産税制を実現するため、簡素でわかりやすいものとなるよう抜本的な改正を行なうとともに、地域の実情や特性に応じて課税の仕組みを換えられる余地を増やすなど、制度を再構築していかなければならない』
と同答申は指摘している。
そして、これらの点を踏まえて①固定資産評価法(仮称)の創設、②資産評価機構(仮称)の設置を提言している。
現行の評価基準に代えて固定資産評価法を定め、固定資産の価格の定義や算定方法などについて疑義が生じないようにしていくことが必要としている。
②の資産評価機構については、固定資産評価員制度が転機にあること、課税の基礎となる評価額の信頼性及び統一性を確保することはより重要であるが、現行の市町村を単位とした評価体制には一定の限界があることから、評価機能を充実させるとともに、評価の客観性・透明性を確保し、専門性(評価技術)を向上していく観点から、評価体制を広域的に集約し、かつ評価を課税庁から独立して行うことが必要であると指摘し、そのために各市町村が併せもつ固定資産の評価権と課税権を分離し、都道府県ごとに評価権を集約した「資産評価機構」の設置を提言している。
尚、同答申によるイメージ図は次のとおりである。

前述したとおり、地方では地価水準と行政サービスの対応性は希薄であり、応益税として土地評価を精緻化してもあまり意味はない。
一方、納税者も地価水準が年々下がっているのに負担調整により結果として税額が増加しているため、増税感から固定資産評価に対する不満は尽きない。
これを回避する方法としては、現在の評価を一時固定し、指数に置き換え、地方財政の所要額が決まったら、その額を前記の指数で除して一点当りの負担額を求め、これを所有土地毎の指数に乗じて徴収することが考えられる。
但し、この場合であっても指数化前は評価が前提となっているため、評価の精緻化を議論されると根本的な解決にはならない。
しかし、納税者が必要とするならば、納税者の費用負担で評価の精緻化を実現するということも考えられる。
そういう意味では固定資産税の賦課主義の修正となるが、課税庁が一方的に百点満点の評価ができるとする現在の仮想社会を見ると、一部申告主義の導入について検討する余地は十分にあるものと思われる。
他方、大都市では行政サービスと地価水準の対応関係は大きくは崩れておらず、また地価水準も高いことから土地評価をしないということには抵抗があるかもしれない。
何故なら大都市では価格水準が高いため、納税者は評価について敏感であるからである。
しかし評価の精度を上げるために多額の予算を使っても直接的な行政サービスの向上にはつながらないので納税者は喜ばない。
また、課税事務は極めてスキルの高い仕事であるが、財政上、人事管理上、十分な経験と訓練を積ませる余裕はない。
人もない、金もない、時間もないという状況下では、課税庁も納税者も十分納得できるような仕事はできない。
ところで、昨今国税庁による相続税路線価設定地域が全国的に拡大している。
前述の総合土地政策推進要綱の中でも、公的評価相互の均衡化・適正化がうたわれていることから、固評路線価、相評路線価のバランスも重要な業務となっている。
しかし固評は3年毎、相評は毎年であり、評価替時以外は市町村との協議が十分になされているとはいえない。結果として、3年毎に相評とのバランスチェックを行なうことになるが、評価担当者が異なるため必ずしも十分な均衡化は得られない。
公的評価は現在のところ地価公示は国交省、地価調査は知事、相評は国税庁、固評は総務省、市町村と四重行政になっているが、これらが何とか機能しているのは公的評価の全てに不動産鑑定士が関与しているからである。
しかし行財政改革の中で公的評価の予算も着実に削減されていることから、全国を一律的に評価の均衡化・適正化を図ることは困難になるものと思われる。
公的評価の均衡化・適正化が国の重要課題というのならば、いっそのこと評価は全て国ないし独立機関が行ない、国・市町村はその評価を基に課税・徴収することにすれば無駄が省け、国・市町村・住民にとってそのメリットは大きいものと考える。
行政サービスの対価を当面評価で計量し、負担額を求めるというのであれば、評価権と課税権を分離し、評価は国又は独立機関が行ない、課税はその評価に基づき市町村が行なうことにすれば、より効率的で国・納税者にとっても負担は少ないものと思われる。
尚、評価権と課税権の分離については、東京都税制調査会が平成17年度の税制調査会答申で提言しているので、その概要を紹介して終わりとする。
東京都税制調査会答申の第2部では、地方分権時代にふさわしい固定資産税制と題し、固定資産税の問題を次のように指摘している。
『現行の固定資産税制は、社会経済状況の変化に対応するために様々な調整措置、特例措置を積み重ねてきた結果、複雑でわかりにくいものとなっている。とりわけ、バブル経済の生成・崩壊の過程で生じた地価の異常な高騰・下落は、固定資産税制に歪みをもたらし、納税者の理解を得ることが困難な原因となっている。
また、急激な税負担の上昇を緩和するために設けられた長期間にわたる負担調整措置は、バブル経済の崩壊に伴う地価の下落局面いおいても税負担が上昇するという現象を招き、納税者からは「地価が下がっているのに固定資産税が上がるのは納得がいかない」という批判が相次いだ。
加えて、負担水準の考え方が導入され、制度がさらに複雑化したため、納税者はますます固定資産税制に対する不信感を募らせる結果となった。こうした不信感を放置したままでは、固定資産税制のみならず、いずれ税制そのものへの信頼感を喪失させてしまうことになりかねない。
-略-
固定資産税は、地方自治の担い手である市町村にとって、極めて重要な財源である。
地方分権の時代にふさわしい固定資産税制を実現するため、簡素でわかりやすいものとなるよう抜本的な改正を行なうとともに、地域の実情や特性に応じて課税の仕組みを換えられる余地を増やすなど、制度を再構築していかなければならない』
と同答申は指摘している。
そして、これらの点を踏まえて①固定資産評価法(仮称)の創設、②資産評価機構(仮称)の設置を提言している。
現行の評価基準に代えて固定資産評価法を定め、固定資産の価格の定義や算定方法などについて疑義が生じないようにしていくことが必要としている。
②の資産評価機構については、固定資産評価員制度が転機にあること、課税の基礎となる評価額の信頼性及び統一性を確保することはより重要であるが、現行の市町村を単位とした評価体制には一定の限界があることから、評価機能を充実させるとともに、評価の客観性・透明性を確保し、専門性(評価技術)を向上していく観点から、評価体制を広域的に集約し、かつ評価を課税庁から独立して行うことが必要であると指摘し、そのために各市町村が併せもつ固定資産の評価権と課税権を分離し、都道府県ごとに評価権を集約した「資産評価機構」の設置を提言している。
尚、同答申によるイメージ図は次のとおりである。

(2008年9月「曲り角にきた地方財政と土地評価の課題」)
曲り角にきた地方財政と土地評価の課題 ~ Vol.4
2024.04.25
VOL.04 客観的交換価値と7割評価の功罪
固定資産(土地)の評価水準を公示価格等の7割水準に引き上げた途端に地価水準は大きく下落に転じ、これに一連の行財政改革の影響もあって地方経済は危機的な状況に陥っている。
このような中で、7割評価によって限りなく実勢地価に近づいた固定資産税評価額に納税者の関心が集まるのは仕方のないことである。
固定資産税は課税庁によって一方的に評価・課税されるため、このプロセスに関与できない納税者の不満は尽きない。
7割評価導入時は評価水準をめぐる争いが多かったが、最高裁判決により7割水準の妥当性が認められた。
反面、客観的交換価値を上回れば、上回った分は違法とされ、取り消しの対象となることが確定したが、このことにより今後は一筆評価を巡る審査申出等が増加するものと予測される。
ところで、標準宅地については公示価格等によるため間違っても客観的交換価値を上回ることはない。
しかし、客観的交換価値を一筆ないし一画地毎に把握しておかなければならないとすると、固定資産評価は課税庁にとって極めて荷の重い仕事となる。
つまり、課税庁が標準画地の価格から画地計算の附表を適用して算定された一筆毎の評価額が客観的交換価値を超えているのかいないのかを判断することは現実的には無理であるからである。
課税庁に不動産鑑定士や経験豊かな評価に精通した職員がいるのなら話しは別であるが、昨今の地方財政の硬直性から人員配置も予算もままならないような現況下では人材を確保することは容易ではない。
最近の最高裁の判例をみると、客観的交換価値と7割水準の関係は、一筆、一画地のレベルでも必要とされるようであるから、課税庁としては必然的に固定資産評価の精緻化の方向に向わざるを得なくなる。
言葉を換えれば、7割評価は課税庁にとってより詳細な課税客体の把握と画地計算附表以外の価格形成要因の把握・分析という重荷を課したということになる。
地方経済の低迷と行財政改革・少子高齢化という三重苦の中で、客観的交換価値を目指して固定資産評価の精緻化に向うことは、財政破綻を招来することになるのかもしれない。
大都市圏と地方圏の極端な二極化の中で、大都市も地方都市も同じレベルで固定資産評価に対応するのは困難と考えざるを得ない。
固定資産(土地)の評価水準を公示価格等の7割水準に引き上げた途端に地価水準は大きく下落に転じ、これに一連の行財政改革の影響もあって地方経済は危機的な状況に陥っている。
このような中で、7割評価によって限りなく実勢地価に近づいた固定資産税評価額に納税者の関心が集まるのは仕方のないことである。
固定資産税は課税庁によって一方的に評価・課税されるため、このプロセスに関与できない納税者の不満は尽きない。
7割評価導入時は評価水準をめぐる争いが多かったが、最高裁判決により7割水準の妥当性が認められた。
反面、客観的交換価値を上回れば、上回った分は違法とされ、取り消しの対象となることが確定したが、このことにより今後は一筆評価を巡る審査申出等が増加するものと予測される。
ところで、標準宅地については公示価格等によるため間違っても客観的交換価値を上回ることはない。
しかし、客観的交換価値を一筆ないし一画地毎に把握しておかなければならないとすると、固定資産評価は課税庁にとって極めて荷の重い仕事となる。
つまり、課税庁が標準画地の価格から画地計算の附表を適用して算定された一筆毎の評価額が客観的交換価値を超えているのかいないのかを判断することは現実的には無理であるからである。
課税庁に不動産鑑定士や経験豊かな評価に精通した職員がいるのなら話しは別であるが、昨今の地方財政の硬直性から人員配置も予算もままならないような現況下では人材を確保することは容易ではない。
最近の最高裁の判例をみると、客観的交換価値と7割水準の関係は、一筆、一画地のレベルでも必要とされるようであるから、課税庁としては必然的に固定資産評価の精緻化の方向に向わざるを得なくなる。
言葉を換えれば、7割評価は課税庁にとってより詳細な課税客体の把握と画地計算附表以外の価格形成要因の把握・分析という重荷を課したということになる。
地方経済の低迷と行財政改革・少子高齢化という三重苦の中で、客観的交換価値を目指して固定資産評価の精緻化に向うことは、財政破綻を招来することになるのかもしれない。
大都市圏と地方圏の極端な二極化の中で、大都市も地方都市も同じレベルで固定資産評価に対応するのは困難と考えざるを得ない。
曲り角にきた地方財政と土地評価の課題 ~ Vol.3
2024.04.18
VOL.03 地価水準と応益性
地価水準は前記のとおり、ピーク時に比較して50~60%の水準にまで下落しており、その傾向はおさまる気配が見られない。
他方、行政サービスは地価水準が下落しているにもかかわらず、低下していない。
とすれば、行政サービスの便益が外部効果を通じてその地域の地価に影響を与えそのことにより土地所有者が利益を得られるから固定資産税は応益負担税だとする考え方には疑問符がつくことになる。
つまり、行政サービスによる便益が増大しているのにもかかわらず、地価水準は大都市圏を除けば依然として下落傾向にあるからである。
この下落が一過性のものであれば行政サービスの対価とする説は有力であるが、下落傾向に歯止めがかからないようであれば、地価水準と行政サービスの対応関係はないということになる。
地価水準が行政サービスの対価性を表わさないとすれば、土地評価の意味合いは小さくなる。
ところで、下表に例示した道内の2市2町の一般会計における固定資産税収(土地)の割合を見ると、高くて4%前後、低い方で1%強となっている。
地価水準の低い過疎町村になると、更にその割合は低下するものと思われる。
市町村にとって、この程度の税収しか期待できない土地からの税収のためにかなりの土地評価関連予算が使われているが、この程度の税収であれば土地評価の精緻化はコスト的に無理と思われる。
他方、家屋については土地より税収の寄与度が高いにもかかわらず、家屋評価に関する予算は土地評価の予算に比較すると無いに等しい。
更に、伊達市における家屋評価の訴訟では、土地評価と異なり最高裁は客観的交換価値説を採用しなかった。
しかし、現実的には過疎町村における家屋の評価額がいわゆる取引価格を反映しているかと言えば、残念ながら取引価格とは極端に乖離することが多く、取引の現状は目を覆うばかりである。
固定資産評価における家屋評価は、鑑定評価基準における原価法と同じ方法であるが、原価法が機能するためには有効需要が十分にあることが前提となる。
しかし過疎町村では需要がないため、汎用性のない特殊な建物(工場・旅館・ゴルフ場のクラブハウス等)の取引価格は二束三文どころか場合によってはゼロ評価ないし取壊されることも多い。
家屋評価も適正時価を前提とするならば、土地評価よりその問題は大きいと言わざるを得ない。
いずれにしても、固定資産評価制度について簡素簡明が時代の要請ならば、精緻化にも自ずと限度があり、また地方財政及び地価水準の極端な二極化を考えると、抜本的な改正を検討すべき時期に来ているのではないかと思われる。

地価水準は前記のとおり、ピーク時に比較して50~60%の水準にまで下落しており、その傾向はおさまる気配が見られない。
他方、行政サービスは地価水準が下落しているにもかかわらず、低下していない。
とすれば、行政サービスの便益が外部効果を通じてその地域の地価に影響を与えそのことにより土地所有者が利益を得られるから固定資産税は応益負担税だとする考え方には疑問符がつくことになる。
つまり、行政サービスによる便益が増大しているのにもかかわらず、地価水準は大都市圏を除けば依然として下落傾向にあるからである。
この下落が一過性のものであれば行政サービスの対価とする説は有力であるが、下落傾向に歯止めがかからないようであれば、地価水準と行政サービスの対応関係はないということになる。
地価水準が行政サービスの対価性を表わさないとすれば、土地評価の意味合いは小さくなる。
ところで、下表に例示した道内の2市2町の一般会計における固定資産税収(土地)の割合を見ると、高くて4%前後、低い方で1%強となっている。
地価水準の低い過疎町村になると、更にその割合は低下するものと思われる。
市町村にとって、この程度の税収しか期待できない土地からの税収のためにかなりの土地評価関連予算が使われているが、この程度の税収であれば土地評価の精緻化はコスト的に無理と思われる。
他方、家屋については土地より税収の寄与度が高いにもかかわらず、家屋評価に関する予算は土地評価の予算に比較すると無いに等しい。
更に、伊達市における家屋評価の訴訟では、土地評価と異なり最高裁は客観的交換価値説を採用しなかった。
しかし、現実的には過疎町村における家屋の評価額がいわゆる取引価格を反映しているかと言えば、残念ながら取引価格とは極端に乖離することが多く、取引の現状は目を覆うばかりである。
固定資産評価における家屋評価は、鑑定評価基準における原価法と同じ方法であるが、原価法が機能するためには有効需要が十分にあることが前提となる。
しかし過疎町村では需要がないため、汎用性のない特殊な建物(工場・旅館・ゴルフ場のクラブハウス等)の取引価格は二束三文どころか場合によってはゼロ評価ないし取壊されることも多い。
家屋評価も適正時価を前提とするならば、土地評価よりその問題は大きいと言わざるを得ない。
いずれにしても、固定資産評価制度について簡素簡明が時代の要請ならば、精緻化にも自ずと限度があり、また地方財政及び地価水準の極端な二極化を考えると、抜本的な改正を検討すべき時期に来ているのではないかと思われる。
