取引事例比較法とウナギの蒲焼きパートⅡ ― 鑑定世界とSTAP細胞現象 ― Vol.1
2021.08.05
VOL.01 取引事例比較法再考
鑑定評価手法の中でも重要な位置を占めている取引事例比較法であるが、適用上の問題点は多い。
以前、本誌に寄稿したことがあるが、あれから10年経った今も、何ら進歩はしていない。(自分だけか?)
昨今の議論等を見聞きしても、その本質的な内容よりも、むしろ重箱の隅を突っつくような話ばかりである。
木を見て森を見ないとは、正にこのことである。
我々は、取引事例比較法の適用に際して、ごく普通に百分の1単位で格差を判定しているが、数学的分析なしに百分の1単位で価値判断ができるということが、はたして科学的・客観的態度といえるのであろうか。
再現性のない価値を求める手法としての闇は深い。
鑑定評価手法の中でも重要な位置を占めている取引事例比較法であるが、適用上の問題点は多い。
以前、本誌に寄稿したことがあるが、あれから10年経った今も、何ら進歩はしていない。(自分だけか?)
昨今の議論等を見聞きしても、その本質的な内容よりも、むしろ重箱の隅を突っつくような話ばかりである。
木を見て森を見ないとは、正にこのことである。
我々は、取引事例比較法の適用に際して、ごく普通に百分の1単位で格差を判定しているが、数学的分析なしに百分の1単位で価値判断ができるということが、はたして科学的・客観的態度といえるのであろうか。
再現性のない価値を求める手法としての闇は深い。
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.6
2021.07.29
VOL.06 トウキョウイズジャパン
この国の行政・経済の中枢は東京である。
東京をはじめとする大都市では、土地利用の規制や建物の利用規制、更には老朽家屋の建て替え・コンバージョン・リノベーション・シェアハウス・長屋の再発見等とかいろいろと取り沙汰されているが、我輩と違ってご主人様が大勢いるか、来てくれる可能性のある場所でのみ成り立つ議論である。
いくら立派な都市計画図を作っても、工場のない工業地域や店のない商業地域、さては2階建を超える建物がないのに容積率が200%・400%の住居系・商業系の用途地域等、都市計画図に色塗られた用途地域と無関係な町は多い。
今後50%を超える地域が無居住化すれば、立派な都市計画図は昭和レトロのセピア色に褪色するのであろう。
一方、日本の政治・経済の中枢機能は東京にあるため、不動産の利用に関する題言・議論は全て東京中心となる。
東京では、高度利用を促進するため容積率の移転等という便利な方法があるらしいが、我輩は田舎の不動産であり、1センチたりとも動けないので大都市の恩恵を受けることはできない。
できるのは田舎の有り余る容積率を東京に売却すること位で、それができれば田舎の市町村も一時はお金が入り、楽になるのではと期待している。
その一方、北海道の余剰容積率を全て東京に売却すると、東京は今の2倍以上の建物が建てられることになるので地価は下がり、東京の住民は皆喜ぶと思うのである。
しかし、地価が下がると困るご主人様も多いのが真実である。
ご主人様は困ったもので、買うまでは安い方が良いと言い、買ったら高い方が良いと言うのである。
自己矛盾も甚だしいが、それが現実である。
いずれにしても、我が国の土地政策はほとんどが大都市中心の発想である。
我輩のような田舎不動産には何の関係もないのであるが、大都市の理屈を田舎にも同じようにあてはめようとするから困ったものである。
この国は、所詮東京が全てである。
東京の問題が日本の問題であり、その問題を解決することが日本の問題を解決することになると思っているので、田舎はおかまいなしとなる。
田舎の現実が見えないのであるから、それも仕方のないことであるが、末梢神経のその先で起きつつある病変は、やがて全身に回ると知るべきである。
東京だけで日本が成り立つのなら、トウキョウイズジャパンという考え方もあると思うが、原発でさえ都内に立地できない程安全性に問題があるのなら、トウキョウイズジャパンという考え方は改めてもらいたいと思うのである。
もっとも、資本主義のありとあらゆる利益を貪りながら、それによって引き起こされる悪徳や不都合には何時もブツブツ文句ばかりを言っているご主人様は極めて不合理で不健全と思うのであるが、正直もう少し何とかならないものかと気を揉んでいる。
一センチたりとも動けない我輩としては、ご主人様のなされるまま、時の過ぎゆくままに流される他はないものとあきらめるしかないのであろう。
隣の芝生は青いというが、我輩も芝生の青い東京に行ければいいのだが、それもかなわぬ夢である。
北海道開拓の歴史は逆回転し、 100年後は原生林の生い茂る山野に帰すのかもしれない。
世界では人口爆発だというのに、一体どうしたものなのであろう。
大都市と田舎をめぐる矛盾は大きく、その闇は深い。
一体日本は何処に行くのであろうか。
世界に冠たる高齢化・少子化と急速な人口減少という前人未踏の現実に対応する手本はない。
ガンバロウ!!試される日本!!試される北海道!!試される田舎!!
この国の行政・経済の中枢は東京である。
東京をはじめとする大都市では、土地利用の規制や建物の利用規制、更には老朽家屋の建て替え・コンバージョン・リノベーション・シェアハウス・長屋の再発見等とかいろいろと取り沙汰されているが、我輩と違ってご主人様が大勢いるか、来てくれる可能性のある場所でのみ成り立つ議論である。
いくら立派な都市計画図を作っても、工場のない工業地域や店のない商業地域、さては2階建を超える建物がないのに容積率が200%・400%の住居系・商業系の用途地域等、都市計画図に色塗られた用途地域と無関係な町は多い。
今後50%を超える地域が無居住化すれば、立派な都市計画図は昭和レトロのセピア色に褪色するのであろう。
一方、日本の政治・経済の中枢機能は東京にあるため、不動産の利用に関する題言・議論は全て東京中心となる。
東京では、高度利用を促進するため容積率の移転等という便利な方法があるらしいが、我輩は田舎の不動産であり、1センチたりとも動けないので大都市の恩恵を受けることはできない。
できるのは田舎の有り余る容積率を東京に売却すること位で、それができれば田舎の市町村も一時はお金が入り、楽になるのではと期待している。
その一方、北海道の余剰容積率を全て東京に売却すると、東京は今の2倍以上の建物が建てられることになるので地価は下がり、東京の住民は皆喜ぶと思うのである。
しかし、地価が下がると困るご主人様も多いのが真実である。
ご主人様は困ったもので、買うまでは安い方が良いと言い、買ったら高い方が良いと言うのである。
自己矛盾も甚だしいが、それが現実である。
いずれにしても、我が国の土地政策はほとんどが大都市中心の発想である。
我輩のような田舎不動産には何の関係もないのであるが、大都市の理屈を田舎にも同じようにあてはめようとするから困ったものである。
この国は、所詮東京が全てである。
東京の問題が日本の問題であり、その問題を解決することが日本の問題を解決することになると思っているので、田舎はおかまいなしとなる。
田舎の現実が見えないのであるから、それも仕方のないことであるが、末梢神経のその先で起きつつある病変は、やがて全身に回ると知るべきである。
東京だけで日本が成り立つのなら、トウキョウイズジャパンという考え方もあると思うが、原発でさえ都内に立地できない程安全性に問題があるのなら、トウキョウイズジャパンという考え方は改めてもらいたいと思うのである。
もっとも、資本主義のありとあらゆる利益を貪りながら、それによって引き起こされる悪徳や不都合には何時もブツブツ文句ばかりを言っているご主人様は極めて不合理で不健全と思うのであるが、正直もう少し何とかならないものかと気を揉んでいる。
一センチたりとも動けない我輩としては、ご主人様のなされるまま、時の過ぎゆくままに流される他はないものとあきらめるしかないのであろう。
隣の芝生は青いというが、我輩も芝生の青い東京に行ければいいのだが、それもかなわぬ夢である。
北海道開拓の歴史は逆回転し、 100年後は原生林の生い茂る山野に帰すのかもしれない。
世界では人口爆発だというのに、一体どうしたものなのであろう。
大都市と田舎をめぐる矛盾は大きく、その闇は深い。
一体日本は何処に行くのであろうか。
世界に冠たる高齢化・少子化と急速な人口減少という前人未踏の現実に対応する手本はない。
ガンバロウ!!試される日本!!試される北海道!!試される田舎!!
(2013年2月 Evaluation no.48掲載/「トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言」)
トウキョウイズジャパン ― 田舎不動産の独り言 ― Vol.5
2021.07.21
VOL.05 国土政策審議会レポートにみる北海道
当該レポートによれば、2050年の北海道では50%を超える地域が無居住化すると予測している。
市町村イコール地域ではないが、それにしても後38年で人の住むことの無い地域が50%を超えるのである。
もっとも、人口問題研究所の長期人口推計によれば、そのような予測結果は当然のことと思われるが、我輩は後10年~15年でこの流れがハッキリしてくるものと考えている。
ところで、ある地域が無居住化するとは、その地域の建物は全て空き家になるということである。
昨今は空き家条例を整備し、危険家屋は行政が取り壊し、その費用を所有者に請求するとしている。
しかし、実行性はあるのであろうか。
無居住化しつつある地域の地価は、二束三文にもならない。
住宅を取り壊しても、土地が売れる訳でもなく、大体が土地価格より取り壊し費用の方が高いのである。
更に問題なのは、このような地域の建物所有者は高齢化しており、取り壊し費用の負担ができない。
また、相続すると負の財産となるので、相続放棄されるのがオチである。
止めどもなく下落する地価、買手・利用する人のいない家屋が老朽家屋から廃屋になるのに、大して時間はかからない。
後40年弱で北海道中に廃屋銀座が出現するかもしれないと思うと、茫然とする他はない。
不動産は使ってなんぼの世界である。
住む人・使う人がいなければ、無用の長物である。
実際、道北のある市で、危険倒壊家屋を税金で取り壊した例がある。
もちろん取り壊し費用の方が土地代より高いので、所有者から寄附してもらったものの、費用は行政の持ち出しである。
仄聞するところによれば、所有者が高齢化し、資力がなく、また相続放棄等により放置されたRC造の家屋で行政の負担で取り壊さなければならない危険倒壊家屋は北海道全体で300棟弱にもなるとのことであった。
このような建物は今後加速度的に増加し、最早行政の手に負えないことになる。
そうなると、町を丸ごと放棄し、地方自治体が消滅する日が近いのかもしれない。
不動産の利用や価格がどうのこうのという議論は、所詮タイタニック号の1等船室にいる乗客の話で、3等船室以下の住人には何の関係もなく、淋しい限りである。
しかし、行き着く先は同じなのだから、つまるところ遅いか早いかだけの話で、気にすることはないのかもしれない。
当該レポートによれば、2050年の北海道では50%を超える地域が無居住化すると予測している。
市町村イコール地域ではないが、それにしても後38年で人の住むことの無い地域が50%を超えるのである。
もっとも、人口問題研究所の長期人口推計によれば、そのような予測結果は当然のことと思われるが、我輩は後10年~15年でこの流れがハッキリしてくるものと考えている。
ところで、ある地域が無居住化するとは、その地域の建物は全て空き家になるということである。
昨今は空き家条例を整備し、危険家屋は行政が取り壊し、その費用を所有者に請求するとしている。
しかし、実行性はあるのであろうか。
無居住化しつつある地域の地価は、二束三文にもならない。
住宅を取り壊しても、土地が売れる訳でもなく、大体が土地価格より取り壊し費用の方が高いのである。
更に問題なのは、このような地域の建物所有者は高齢化しており、取り壊し費用の負担ができない。
また、相続すると負の財産となるので、相続放棄されるのがオチである。
止めどもなく下落する地価、買手・利用する人のいない家屋が老朽家屋から廃屋になるのに、大して時間はかからない。
後40年弱で北海道中に廃屋銀座が出現するかもしれないと思うと、茫然とする他はない。
不動産は使ってなんぼの世界である。
住む人・使う人がいなければ、無用の長物である。
実際、道北のある市で、危険倒壊家屋を税金で取り壊した例がある。
もちろん取り壊し費用の方が土地代より高いので、所有者から寄附してもらったものの、費用は行政の持ち出しである。
仄聞するところによれば、所有者が高齢化し、資力がなく、また相続放棄等により放置されたRC造の家屋で行政の負担で取り壊さなければならない危険倒壊家屋は北海道全体で300棟弱にもなるとのことであった。
このような建物は今後加速度的に増加し、最早行政の手に負えないことになる。
そうなると、町を丸ごと放棄し、地方自治体が消滅する日が近いのかもしれない。
不動産の利用や価格がどうのこうのという議論は、所詮タイタニック号の1等船室にいる乗客の話で、3等船室以下の住人には何の関係もなく、淋しい限りである。
しかし、行き着く先は同じなのだから、つまるところ遅いか早いかだけの話で、気にすることはないのかもしれない。