究極の内需拡大策を考える ~ Vol.4
2025.06.12
VOL.04 モノが売れなきゃ人を動かせ2
2)日本型休み方の功罪
日本では、何故か団体行動をとるよう仕向ける傾向がある。
口では個性尊重といいながら、群れからはずれた者に対しては冷淡である。
悲しい事ながら我々は骨の髄からダブルスタンダードの国民である事を自覚せざるを得ない。
しかし、低成長経済のこの時代に求められているのは、多様性に対応できる個性豊かな人間である。
ところで、休み方を見ると、個性ある休み方はみられない。
現在の祝祭日や休暇習慣からすると、国民経済にとっても、環境にとっても、その害はあまりあるものと考えざるを得ない。
盆暮れやゴールデンウィークのシーズンになると、十年一日の如く繰り返される交通渋滞、料金の高騰、サービスの低下等に悩まされている。
交通渋滞による排ガスの環境汚染は年々深刻になっている他、ピークに合わせた公共投資は財政的にも限界にきている。
地方の高速道路をみると、ピークを過ぎるとガラガラ状態になっており、その必要性に疑問を抱かざるを得ない。
また、経営側にとっては週休二日制の間に祝祭日がはさまる為、効率的な経営ができない。
出勤日が分断させられる為、仕事の継続性や緊張感が中断される他、急ぎの仕事の時は残業やアルバイト等で対応せざるを得なく、経営コストは高くつくことになる。
勤労者側からみれば、1日・2日の飛び飛びの休みではほとんど何もできない為、充足感が得られない。
つまり、3・4日働いて2・3日の休みというパターンの多い現在の祝祭日のあり方では、腰を据えて何かをするというような有意義な休暇の使い方ができない。
前述したように、休みが集中するゴールデンウィーク時には全国民の大半が休む為、混雑がひどい、料金は高い、サービスは悪い等の弊害が多く、経営者にとっても勤労者にとっても良い事は一つもない。
悪い冗談ではあるが、ゴールデンウィークの疲れを休み明けの会社で取るという笑うに笑えない話も出てくるのである。
国民経済的にも、また、環境上も、更には労使間にとっても充足感のない、非効率的な現在の休暇制度について、根本的に考え直す時期にきているのではないかと考える。
2)日本型休み方の功罪
日本では、何故か団体行動をとるよう仕向ける傾向がある。
口では個性尊重といいながら、群れからはずれた者に対しては冷淡である。
悲しい事ながら我々は骨の髄からダブルスタンダードの国民である事を自覚せざるを得ない。
しかし、低成長経済のこの時代に求められているのは、多様性に対応できる個性豊かな人間である。
ところで、休み方を見ると、個性ある休み方はみられない。
現在の祝祭日や休暇習慣からすると、国民経済にとっても、環境にとっても、その害はあまりあるものと考えざるを得ない。
盆暮れやゴールデンウィークのシーズンになると、十年一日の如く繰り返される交通渋滞、料金の高騰、サービスの低下等に悩まされている。
交通渋滞による排ガスの環境汚染は年々深刻になっている他、ピークに合わせた公共投資は財政的にも限界にきている。
地方の高速道路をみると、ピークを過ぎるとガラガラ状態になっており、その必要性に疑問を抱かざるを得ない。
また、経営側にとっては週休二日制の間に祝祭日がはさまる為、効率的な経営ができない。
出勤日が分断させられる為、仕事の継続性や緊張感が中断される他、急ぎの仕事の時は残業やアルバイト等で対応せざるを得なく、経営コストは高くつくことになる。
勤労者側からみれば、1日・2日の飛び飛びの休みではほとんど何もできない為、充足感が得られない。
つまり、3・4日働いて2・3日の休みというパターンの多い現在の祝祭日のあり方では、腰を据えて何かをするというような有意義な休暇の使い方ができない。
前述したように、休みが集中するゴールデンウィーク時には全国民の大半が休む為、混雑がひどい、料金は高い、サービスは悪い等の弊害が多く、経営者にとっても勤労者にとっても良い事は一つもない。
悪い冗談ではあるが、ゴールデンウィークの疲れを休み明けの会社で取るという笑うに笑えない話も出てくるのである。
国民経済的にも、また、環境上も、更には労使間にとっても充足感のない、非効率的な現在の休暇制度について、根本的に考え直す時期にきているのではないかと考える。
究極の内需拡大策を考える ~ Vol.3
2025.06.05
VOL.03 モノが売れなきゃ人を動かせ
1)日本の祝祭日を検証する
エコノミックアニマルだワークホリックだと言われ、世界から働く事しか能のない民族と言われて来たが、果たして現在もそのような状況にあるのだろうか。
平成13年の暦をみると祝祭日は年間で12日間ある。
これに、習慣となっている年末年始の休み約7日間とお盆休み3日を加えると、現在年間既に22日間も土曜日・日曜日以外に休んでいる事になる。
欧米では日本のように祝祭日等が多くない為、長期有給休暇が一般的である。
我々は長期バカンスを長い間夢見ているが、現役時代の実現はなかなか困難である。
しかし、実際には週休二日制の上に更に年間約22日も休んでいるのである。
年間労働日数でみれば、何と220日前後しか働いていない事になる。
つまり、12ヶ月のうち働いているのは7ヶ月、休んでいるのが5ヶ月という計算になる。
年末年始の休みやお盆休みは近代的な労使慣行のない時代の遺物と思われ、江戸時代から終戦の頃までは労働者にまともな休みはなく、その為有給休暇に代わるものとして盆暮れの休みが発生したものと思われる。
週休二日制が浸透した今、ことさらに国民の祝日を増やしたりするのは時代錯誤と考える。
つまり、休暇は国民の固有の権利であり、それは御上によって指示されるべきものではないと考える。
1)日本の祝祭日を検証する
エコノミックアニマルだワークホリックだと言われ、世界から働く事しか能のない民族と言われて来たが、果たして現在もそのような状況にあるのだろうか。
平成13年の暦をみると祝祭日は年間で12日間ある。
これに、習慣となっている年末年始の休み約7日間とお盆休み3日を加えると、現在年間既に22日間も土曜日・日曜日以外に休んでいる事になる。
欧米では日本のように祝祭日等が多くない為、長期有給休暇が一般的である。
我々は長期バカンスを長い間夢見ているが、現役時代の実現はなかなか困難である。
しかし、実際には週休二日制の上に更に年間約22日も休んでいるのである。
年間労働日数でみれば、何と220日前後しか働いていない事になる。
つまり、12ヶ月のうち働いているのは7ヶ月、休んでいるのが5ヶ月という計算になる。
年末年始の休みやお盆休みは近代的な労使慣行のない時代の遺物と思われ、江戸時代から終戦の頃までは労働者にまともな休みはなく、その為有給休暇に代わるものとして盆暮れの休みが発生したものと思われる。
週休二日制が浸透した今、ことさらに国民の祝日を増やしたりするのは時代錯誤と考える。
つまり、休暇は国民の固有の権利であり、それは御上によって指示されるべきものではないと考える。
究極の内需拡大策を考える ~ Vol.2
2025.05.29
VOL.02 内需は何故拡大しないのか2
2)資本主義経済の成熟化とその終焉
以上にみたとおり、内需は拡大しないのではなく、生まれた時からモノに満ち溢れた生活を送っている現代においては欲しいモノがないというのが実情ではなかろうか。
個人的にみても、今どうしても欲しいというモノはなかなか思い浮かばない。
消費経済は成熟化してしまい、今後消費が大きく伸びることは期待できない。
我々は成長の呪縛から逃れられず、未だに大量生産・大量消費を夢見ているが、大量生産を維持する為には今まで以上により早く!!より大量に!!モノを捨てなければならない。
しかし、地球環境の問題を考えればこれらの大量の産業廃棄物を受け入れる余地は極めて少なく、環境負荷の面からも大量生産・大量消費は受け入れ難くなりつつある。
その一方で、我が国の人口構造は急速に高齢化しており、少子化と相まって、消費人口が将来共持続的に拡大する方向にはない。
したがって、需要面でも環境面においても、これ以上の大量生産・大量消費は困難と思われ、単純にモノさえ売れれば良いというようなこれまでの延長線上にあるような内需拡大は、これ以上は無理というべきである。
2)資本主義経済の成熟化とその終焉
以上にみたとおり、内需は拡大しないのではなく、生まれた時からモノに満ち溢れた生活を送っている現代においては欲しいモノがないというのが実情ではなかろうか。
個人的にみても、今どうしても欲しいというモノはなかなか思い浮かばない。
消費経済は成熟化してしまい、今後消費が大きく伸びることは期待できない。
我々は成長の呪縛から逃れられず、未だに大量生産・大量消費を夢見ているが、大量生産を維持する為には今まで以上により早く!!より大量に!!モノを捨てなければならない。
しかし、地球環境の問題を考えればこれらの大量の産業廃棄物を受け入れる余地は極めて少なく、環境負荷の面からも大量生産・大量消費は受け入れ難くなりつつある。
その一方で、我が国の人口構造は急速に高齢化しており、少子化と相まって、消費人口が将来共持続的に拡大する方向にはない。
したがって、需要面でも環境面においても、これ以上の大量生産・大量消費は困難と思われ、単純にモノさえ売れれば良いというようなこれまでの延長線上にあるような内需拡大は、これ以上は無理というべきである。