鑑定雑感 不動産鑑定士 堀川裕巳 コラム
 
◆ 節約は美徳か悪徳か? ◆ ー 蜂の萬話と相互律が示唆するもの ー
 
VOL.01 絶対的なるもの VOL.02 相互律について思うこと VOL.03 節約は美徳か悪徳か
 
VOL.04 蜂の萬話ー私悪すなわち公益 VOL.05 蜂の萬話ー私悪すなわち公益2  
 
 
◆ 七面鳥と不動産鑑定士 ◆ ー ガリレオとブラックスワンの世界 −
VOL.01 鑑定評価の科学性 VOL.02 合理性と数学 VOL.03 ブラックスワンの世界
 
VOL.04 予測可能と予測するのは可能か VOL.05 千と一日目の七面鳥
 

◆ 節約は美徳か悪徳か? ◆

ー 蜂の萬話と相互律が示唆するもの −
 

VOL.01 絶対的なるもの

 鑑定評価の世界も含めて、我々は絶対無二なるものを求めすぎてるのではないだろうか。

 数学・物理・化学などの世界は、一定条件の下では絶対無二の世界が存在すると思われるが、一定の条件が想定外であれば、今回の福島原発事故の二の舞になる。社会科学の世界では、数学・物理・化学などの世界のように一定条件を厳密に定義しないで、三段論法的にタラ・レバが異なればまた違った世界が展開する。
  特に鑑定評価の世界では、事例収集・その内容・確認から始まり、評価手法・調整・決定の各段階において数多くのタラ・レバが存在する。鑑定ムラ社会でこの数多くのタラ・レバを議論しようとすれば、原子力ムラと同じように無視または村八分になる。
  専門家と称する人間が良く分からないことに目をつぶり、分からないことを分からないとハッキリ言わないのは、専門家の沽券にかかわるとでも思っているのであろうか。世の中に数多くの専門家と称する人間がいるが、はたしてどれだけの専門家が分からないことに対し、分からないと言えるのだろうか。

鑑定世界のタラ・レバ

 鑑定評価の世界は、稀に見るタラ・レバ(仮定条件)の世界である。筆者もコンマ以下(1mm以下)の精度・誤差の世界から、誤差概念のないタラ・レバの世界に入って早30年近くになろうとしている。この世界には、誤差概念も情報の確実性や評価手法の科学性に対する疑念も入り込む余地は少ない。鑑定世界を除くと、そこには常に第三者の批判(ときには批難となることも少なくない)が存在することから、独りよがりのタラ・レバにも限度がある。

 しかし、訴訟鑑定を除くと、第三者からの批判がほとんどない鑑定世界では、タラ・レバに対する自己検証がなされることはほとんどない。というより、できないというのが本音である。鑑定世界に幸いというべきか、約30年も居座っているが、この間に進歩したのは、鑑定書という書類を作成する道具だけである。もっとも、カゴ・馬車の世界から車社会に大きく変貌したが、かといって人間が進歩したとも言えないのであるから、それもまたやむを得ないのであろう。

 しかし、そうは言っても、鑑定評価が社会に対して一定の役割を果たしているのは紛れもない事実である。それ故に鑑定世界も原子力ムラの教訓を十分に受け止め、真に社会に役立つためにはどうすれば良いのか、タラ・レバの真実をも含めてトコトン考える必要があるのではないかと思っている。

 
  相互律について思うこと